このページでは、共感覚の科学的で詳しい説明を行っています。
簡単な解説をご覧になりたい方は、『共感覚とは』 もご覧になってください。

目次
共感覚の従来の見解
共感覚の特徴
 シトーウィックによる共感覚の5つの特徴
 ハリソンによる共感覚の4つの分類定義
共感覚の発生原因 ←今はここ
共感覚の発生頻度
共感覚と遺伝との関連
共感覚の個人間の相違
共感覚者の脳活動計測
参考文献

共感覚の発生原因

共感覚の発生に関する仮説には様々なものがある。ジョン・ハリソンは、ほかの研究者が提示したいくつかの仮説や、 自身が提示した仮説について、科学的な立場での検証を行っている[4]。次に掲載するのは、その要約である。

学習された連合

色聴(音による共感覚)を訴える人々は、無意識に色と音ないし単語とを結びつける連合を学習してしまったのだという仮説である。 この仮説について最も古い文献の1つは、1893年のカルキンズによる論文である。この説によると、共感覚とは、 単に連合の学習結果を思い出しているだけであり、そして、その連合をいつ学習したのかについて本人は気づかないままでいるだけということになる。 よくある説明としては、共感覚者が子供の頃、色のついた文字の書いてある本を読んだ、幼児教育の一環として鍵盤に 色のついたシールを貼ったピアノを弾いていた、その結果、無意識のうちにその連合を学習しているのだ、という説明である。 この説は、文字と色の連合を学習したときの記憶を覚えている人が”全く”いない点、同じ環境で生活したはずの、 家族や双生児ですら連合に類似性が見られない点、連続した文字に同じ色の異なった色合いが結びついている点 (色つきのアルファベットをこのようなパターンに塗るのは稀であり、普通は、隣り合った文字には全く違う色が塗られる)、 共感覚者は女性に圧倒的に多い点、等の不都合を説明するのに不十分である。

感覚漏洩理論

色聴に即して言えば、要するにこの理論では、通常は視覚情報を扱っている脳内部位や脳内経路に、聴覚情報が漏れてしまうという仮説である。 ジェイコブズらは、この漏れやすくなっている部位として複数の候補を挙げている。しかし、異なった感覚情報を扱う部位どうしの間に漏れがありうる、 ということを示す証拠はほとんどない。だが、最近の研究では、必ずしも漏れを仮定する必要はないのではないかということが示されている。 脳のある部位には、複数の感覚情報からの刺激に反応する能力がある、一群の神経細胞のかたまりが見つけ出されている。 グラツィアーノらによって1994年に行われた研究によって、運動前野皮質の腹側部位にある神経細胞のうち約30%は、 視覚刺激と身体刺激を別々に、あるいは同時に与えても発火することが分かった。このことは、情報が全て揃っているというわけにはいかない場合、 脳がどのようにして、入力された感覚刺激を意味のあるものとして解釈しようとしているかを示す一例となっているのかもしれない。

シトーウィックの共感覚理論

辺縁系の正常な働きが解き放たれてしまい、意識にさらされ、共感覚が経験される、という仮説である。偏頭痛でも似たようなことがあり、 いずれにおいても、ある刺激によって脳の部分的な代謝バランスが調整される、という概念が基礎にある。シトーウィックは、 辺縁系が関わっている証拠として、ゼノン133を用いたSPECTで脳の部分血流を調べた結果、皮質の血流量の著しい減少が観測されたことを挙げている。 皮質で血流量が減少したのは、辺縁系でより多くの血流量を必要としたためというわけである。しかし、これは辺縁系が関与している直接的な証拠とは言えない。 また、シトーウィックが公表したSPECTによる部分血流測定結果は1名のみであるため、他の共感覚者との比較ができていない。

グロッセンバッハーの理論

共感覚者は、感覚経路における「逆向きに送り込む」働きが異常なほど強いのだ、という仮説である。 グロッセンバッハーが指摘しているように、ヒトの脳は、感覚情報が入力されると、その情報はまず単一の感覚領域から来た感覚情報を扱う 皮質モジュールに入り、それから複数感覚を扱う領域へと運ばれていくように組織されている。その複数感覚を扱う領域では、 様々な感覚モダリティからきた感覚情報を組み合わせることによって、ある感覚モダリティからきた感覚情報と 別の感覚モダリティから来た感覚情報との対応作業がうまく実行されるようにする(見たことしかないものを手で触って取り上げる等)。 ほとんどの人では、複数の感覚を扱う領域から単一の感覚を扱う領域へ、という方向へ進む働きは抑制されている。この抑制が弱まったり、 消えてしまったりすると共感覚が起こるのだ、というのがグロッセンバッハーの仮説である。前の理論と同じで、 この理論も直接の証拠を得るのは難しい。

環境によって方向づけられた脳の成熟

共感覚者の脳は、環境要因によって形成された、という仮説である。フランシス・クリックは、後に共感覚者であることが 検査で明らかになるような人というのは、新生児のときに、色のついた文字を遊び道具として与えられた人々なのではないか、と述べている。 つまり、文字と色との連合が脳に配線されてしまい、成長してからも文字を見るだけで色の感覚を引き起こすのに十分なほどになってしまったのではないか、という仮説である。この共感覚理論は、表面的には、上で述べた、連合学習説と似ているように見えるかもしれないが、本質的な違いがある。どちらの理論も、共感覚は環境によって仲立ちされるメカニズムの結果である、と見ているが、連合学習説では、脳の聴覚野と視覚野との間に直接的な結合は必ずしも必要としない。この主の連合はあくまでも意味のレベルで形成される。これに対して、環境によって形成された神経経路説では、脳の聴覚野と視覚野との間に直接的な結合を必要とする。 この、環境によって形成された神経経路説を見ると、人は皆、程度の違いこそあれ、多少は共感覚を持っているのかもしれない、とも言える。 また、共感覚者になるための潜在的な可能性は誰もが持っており、正しいトレーニングをすれば、私たち皆が共感覚を持つことができるかもしれない、 という可能性も考えられる。

新生児の感覚未分化

新生児は、視覚と聴覚がある程度混同されていることが分かっている。この感覚未分化が、成人後も残っている人が共感覚者である、という仮説である。
解剖学的な側面から見ると、人間の脳は、それぞれの機能に特化した部位が、いくつも集まって構成されていると言える。 後頭葉は、目で受け取った視覚情報を処理する場所だということが確認されており、聴覚情報の大部分は、側頭葉で処理されることが分かっている。 いずれの脳細胞も、他の脳細胞から7つ分以上は離れていない、と一般的には考えられている。つまり、ある意味では全ての脳細胞は 繋がっているとも言える。普通は、視覚と聴覚とを混同したりしないので、機能的に特化されたこの2つの脳部位の間には、十分な違いがある、 と考えてもおかしくはない。これは大人にはほぼ当てはまるが、子供の場合はそうとも言えない場合がある。新生児にも多少の機能の特化があるが、 それは基礎的な視覚処理過程に限られている、という主張がある。この主張の根拠は、新生児には大まかな視覚弁別の能力がある点、 一次視覚野の脳細胞は、他の脳部位と比較して、誕生時から互いによく分離されている点、等が挙げられる。
次は生理学的な側面から見ていく。上で述べたように、大部分の人にとっては、聴覚情報を受け取る部位と、 視覚情報を受け取る部位とは十分に分離されたところで起こるので、聴覚が視覚に入り込むことはない。しかし、共感覚者には、 これがあまり当てはまらない、という可能性もある。ダフネ・マウラーによると、マカクザルと猫の、聴覚野と視覚野との間に、 生後3ヶ月ほどの間に限り、直接的な結合が存在する可能性が指摘されている。もし、似たような神経線維の繋がりがヒトにも見つかるとしたら、 人間は皆、生後3ヶ月くらいまで共感覚を持っている、という仮説を考えることもできる。脳の電気活動は、脳波計(EEG)によって計測される。 この計測法により、ある特定の感覚システムを刺激すると、その情報を扱うことが分かっている脳部位の活動を検出することができる、 ということが示されている。視覚によって賦活される電位(視覚性誘発電位)を捜す場合なら、普通は視覚皮質に活動の変化が見られる。 このような刺激と電気活動との相互関係は、健康な大人や幼い子供では見られるが、生後3ヶ月よりも前の赤ん坊には見られない。 新生児に聴覚刺激を与えると、後頭皮質の視覚野から信号がくるのが観察される。また、身体感覚によって誘発される電位 (体性感覚性誘発電位)は、普通は触覚刺激の結果増大する。ところが新生児では、聴覚刺激であるホワイトノイズが流れたときに、 体性感覚性誘発電位の反応が増大するのが観察されている。このように、初期の脳には、聴覚情報を視覚野に運ぶ一時的な経路があるらしい、 ということを示唆するような間接的な証拠はたくさんある。上で述べたような事実を元に、共感覚を持つ人々は、 聴覚と視覚を結ぶ経路を成人後も保持しているのに対し、共感覚を持たない人々はおよそ生後3ヶ月までのどこかの時点で この能力を失ってしまうのだとしたら、私たちは皆、生後3ヶ月以前のある時期までは共感覚者だったのかもしれない、という可能性がでてくる。

量的、質的な違い

多くの科学分野でしばしば論争になるのは、ある出来事、もの、人、あるいは病気などが、はっきりと基準とは異なっているのか、 それとも単に程度の違いに過ぎないのか、という点である。前者の違いは質的な違いと呼ばれ、後者の違いは量的な違いと呼ばれる。 同じような論争が共感覚についてもあり、量的な違いと主張している論者は、普通の人でも、感覚モダリティの違うもの同士を積極的に 組み合わせたがることを指摘する。つまり、共感覚者とは、音と色をより積極的に組み合わせがちな人種である、という仮説である。 ローレンス・マークスによる実験では、普通の実験参加者が、一貫して、1000ヘルツの音と明るい白色を組み合わせることを示した。 他にも、音の大きさ、音程、明るさといった尺度を使って、聴覚・視覚のメタファーを評定する際にも、著しい類似性があることを示した。 例えば、「日光」は「輝き」よりも音が大きく、「輝き」は「月光」よりも音が大きいと実験参加者全員が判断している。 ツェルナーとカウツは、1990年に、匂いの知覚の強さは匂いを嗅いだ物質の色に影響を受けることを報告している。 2人は、この効果について、条件付けられた連合によるもの、もしくは、感覚の間に残っている神経結合の結果、ではないかと考察している。 最初の仮説に関しては、透明で色のついていない溶液はたいてい無臭で、色のついた溶液はたいてい匂いがするだろうと思われていることが 多いことを指摘している。また、匂いと色との対応は直接の神経結合による、という仮説は、他の共感覚理論と共通する部分が大きい。 結局のところ、共感覚者は根本から別人種なのか、それとも単に程度の差がある一般人なのか、という問いに対しては、 「共感覚がないと見なされる人でも、実際には軽度の共感覚を持っている」という答えが可能性の1つとして考えられる。 この、共感覚が全ての普通の人にも見られるのかどうか、を調べる実験や、大量に共感覚を持っている共感覚者を調べる実験には 共通して次のような問題点が見られる。それは、普通の実験参加者が、明るい視覚対象と甲高い音の間の関係について、 みな同じような判断をしたがるというのが、文化の間に受け継がれているメタファーを学習した結果なのか、 それとも軽度の共感覚のせいなのか絶対の確信を持って区別することはできないという点である。

共感覚の1つの方向性

これまでに述べた仮説では、あらゆる形式の共感覚を、1つの仮説で説明しようとしている。
しかし、ジョン・ハリソンは、この方針は不適切ではないか、とも述べている。その理由の1つに、共感覚という言葉が、 あまりにも色々な現象に使われている点を挙げている。現在、共感覚という言葉は、視覚経路の損傷の結果、薬物使用の幻覚、 精神疾患による知覚などのあらゆる現象に使われている。共感覚というよりも、メタファーと言った方がよい場合にまで使われている。 また、味に形を感じる共感覚の説明を用いて、音に色を感じる共感覚を十分に説明することができることはあまり期待できない。 しかしながら、これらの理論は、必ずしもお互いに排除し合うものではなく、人間の行動を完全に理解するためには、 機能レベルと構造レベルの両方について説明する理論が必要であり、それぞれの理論はそれぞれの専門領域にふさわしい言葉を使って 説明を与えているだけで、共感覚理論としてはそれほど競合しているわけではないとも述べている。

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色聴判定テスト一覧
テストはどれも10分ほどで終わります
推奨環境
・Internet Explorer7以降
・Firefox3以降
判定テストについて
これまでに 1541人 がテストを受けました
09/12/28~12/02/02
更新情報
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